【特別読み物】1.



昔むかしのものがたり



人がふたりいれば競争が始まる、とはよく言われる話だ。
だが、クルマの競争に関しては、いつ、どこで、どんな形で始まったのか、よくわかっていない。
”定説”という言葉もよく使われるが、正直な話、これも絶対的ということではない。
”諸説紛々ある”というほうが、かえってミステリアスで、ロマンも感じる、ともいえよう。
そんな自動車レースの黎明期に、タイヤのほうからはいった小編を見つけたので紹介しよう。
テキストは、下記のタイトル本。その中の「ミシュランとレースの歴史」の一節である。
ほぼ全文を転載させていただいた。
こういった形で、今後も面白い小編があったら紹介したいと思っている次第。
白井景


第6回ゴードン・ベネット杯が行なわれた
クレルモンフェラン近郊のルート図。右下
のクルマは、ミシュランを履いて初めて
100km/hの壁を破ったジャメコンタン
(決して満足しない)号。


text:1986 MICHELIN THE TIRE ENCYCLOPEDIA
   The Story Only From Michelin 2 より


”パンク22回”初レースの記録
パリ〜ボルドー往復1180km


ミシェランのアンドレ(左)と
エドワール(右)兄弟


 人は競争の生き物である。
 この地上に”馬なし馬車”つまり自動車が現れたのは、
1886年のドイツ・ダイムラーの発明だというのが定説であるが、
「いやフランスのほうが先だ」という説もあり、
これも競争のネタのひとつになっている。
 ミシュランのレースの歴史は1895年に始まる。
 パリ〜ボルドー間を往復する1180kmの、この世紀の大レースは、
”馬なし馬車”の未来を予測し、
市民の理解を得られるかどうかの大デモンストレーションであった。
 このレースには、後の歴史の教科書に、
大発明家あるいは世紀のモノ好きとして登場する数多くの男達が情熱を傾けた。
 ミシュラン・タイヤの創始者エドワールとアンドレの兄弟も、そのひとりである。
 彼らは、プジョーの車体とダイムラーのエンジンに、
開発したばかりの4つの空気入りタイヤを履いたエクレール(稲妻)号で、
歴史の一ページにデビューした。
 ただでさえ重い車体に、スペアタイヤ30本、さらに工具一式を載せ、
1180kmもの悪路を走り抜くというレースは、
空気入りタイヤにとって極めて厳しい戦いの舞台となった。
 スタートからゴールインまで、実に22回のパンクを記録。
 この数字は、ふたりのミシュランにとって極めて教訓的であり、
その後の空気入りタイヤの発展を促す、大いなるジャンピングボードの役割を果たしている。
 完走19台中12位。
 その成績は評価していいかも知れない。
 空気入タイヤは、時速61kmという速度記録を樹立して、
100年前の人々を「アッ」と言わしたのだ。
 このレースに勝利したのは、13.5リッター・90馬力のガソリン・エンジン車パナール。
 平均速度24km/h。
 これは、それまでの蒸気機関付き自動車の終焉を告げる、
ガソリン・エンジン車のデビューでもあった。
 ミシュランを超えるのはミシュラン。
 この1180kmの中で得た教訓を基に、よりエネルギッシュな活動が始まった。
 パリ〜マドリッド、パリ〜ベルリン、パリ〜ウィーンなど、
その後参加したレースのすべてに、ミシュランは1位の名誉ある歓声を挙げたのだ。
 1899年には、時速105.8kmの壁を、その6年後には時速174.7kmの壁を破る。
 これらのレースで得た経験が、丹念に、製品にフィードバックされたのはもちろんである。
 そしてモータースポーツは、加速度的に高速・高性能化の道を辿り始めたのだ。
 
あのF1の、あのル・マンのルーツ、
そこにもミシュランがいた。



 国際版レースの初舞台は、ゴードン・ベネット杯。
 アメリカの新聞社主ジェームス・ゴードン・ベネットが提供したトロフィーを、
数ケ国のチームが争ったが、第1回からレースに参加したミシュランは、
次々に勝利を納め、その実力の程を見せた。
 フランスが開催国となり、それが最後となった1905年の第6回大会は、
クレルモンフェラン近郊の134kmのコースを4周して争われたが、
ここでもミシュランは好成績を記録。
 1〜4位までの入賞者すべてがミシュランを履いていたのである。
 1906年から、フランス自動車クラブ(ACF=オートモビル・クラブ・ド・フランス)は、
自らの主催するレースに、初めて「グランプリ」の名称を冠して、
この年のル・マンのレースをフランス・グランプリと呼称した。
 これが、それ以来、今日まで連綿と続いているグランプリ史の輝かしき第1回グランプリとされている。
 新たなレギュレーションに基づいたこのレースは、自動車の急激な進歩にも貢献した。
 これが、現在のF1グランプリやル・マン24時間のルーツである。

 (完)

関連記事:
ショート・ヒストリー/グランプリ戦前編
読むグランプリ年表/レーシングカー、疾走の100年