Uniqueness F1 Machin Variety
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かつて、こんな異色のF1マシンがあった!!



F1グランプリも、50年の歴史を積み重ねると「変わり型」マシンがずいぶん登場した。
しかし、いずれのマシンも勝つために作られたものであり、ただ単に奇をてらったものではない。
また、時代の進取が過ぎて、アッという間に消えていったものも少なくない。そんなマシンばかりを集めてみたのが、このページである。
21世紀の今世紀に、また日の目を見ることがあるいは、あるかもしれない......


その1.ティレルP34/6輪マシン 
(Tyrell P34/6Wheeler)

illustration&photo:
Tyrell Racinng Organisation/First National City Travelers Checks




 「タイプ007」で1974年に、ドライバーズ・チャンピオンシップ3位(ジョディ・シェクター)、9位(パトリック・デパイユ)、そしてコンストラクターズ・チャンピオンシップで3位(52ポイント)を
挙げたティレル・チームの次期用秘密兵器が、この6輪カーであった。
75年と76年の第6戦モナコまで007で戦った同チームは、第7戦のスウェーデン・グランプリに突如、関係者の度肝を抜かせる6輪カー”P34”を登場させたのである。
このマシンを駆ったシェクターは、なんと1位に、そしてデパイユは2位となり、関係者を唖然とさせたのだ。
前輪4輪を小径化させて空気抵抗を極力小さくすると共に、4輪による接地性を増す(接地面積を大きくする)ことに成功した結果であった。
反面、当然重量は増し、メカニズムは複雑化した。グッドイヤー・タイヤの、1チーム・オンリーというサプライの難しさもあった。
だが、エルフ・ティレル・チームは良く戦った。つづくフランスでも2,6位、イギリス2位、ドイツ2位、オランダ5位、イタリア5・6位、カナダ2・4位、東アメリカ2位、日本(富士スピードウェイ)2位という好結果で年間ランキング(シェクター3位、デパイユ4位、コンストラクターズ部門3位)に、デビューながらも輝かしい成績を残したのである。
翌77年は、ロニー・ピーターソンがシェクターに替わってステアリングを握ったが、前年ほどの成績は残せず(デパイユ8位、ピーターソン14位、コンストラクターズ部門5位)、1978年シーズン途中に、オーソドックスな「タイプ008」に交代し、その役目を終えた。その後、6輪カーの出場はない。
ちなみに、レースには出場しなかったが、フェラーリとマーチ、そしてウイリアムズが、レイアウトは違うが、後4輪の6輪カーをトライしている。


マーチ6輪カー「2-4-0」。設計者のロビン・ハード氏
は、小径のティレル前4輪トラクション効果に対し、
後4輪による大トラクション効果を狙って作った。
しかし、実戦に登場することはなかった。

photo:March Engineering



その2.ファンカー
ブラバムBT46B/アルファロメオ水平対向12気筒エンジン
(BrabhamBT46B/Alfaromeo Flat12Cylinder)

photo:出典「F1マシン デザイン&テクノロジー」CBSソニー出版
 
photo:出典「Sports Graphic Number」文芸春秋
illustration:出典「F1マシン デザイン&テクノロジー」CBSソニー出版

 

チョッと分かりにくいかも知れないが、ブラバムBT46Bの”秘密兵器”は、マシン最後部に接地された、いわば大型扇風機と思っていい。
鬼才ゴードン・マレー氏の手になる野心作で、1978年シーズンの第8戦スウェーデン・グランプリに、ニキ・ラウダのステアリングで突然デビューした。
結果、ベンチュリー効果はものすごく、圧倒的な勝利を納めた。
しかし、他チームからの猛烈なアピールにより審査会が開かれ、裁定の末、この一戦のみを認め、以降車両規定に合致しないマシンということになった。
事実、以降、この手のマシンは出現していない。
デザイナーの意図は、明らかにボディ内の空気を強制的に吸い出して、マシンを路面に押しつける、強烈なベンチュリー効果を狙ったものである。
ブラバム側は、この部品は「ラジエター冷却用部品」(確かにファン前に小さなラジエターが存在する)で、ポルシェ空冷F1と同じ方式(こちらはエンジン本体の冷却用)と主張した。
が、裁定は「ポルシェの冷却用ファンは空気を外部から内部へ採り入れるもの」、いっぽうブラバムのファンは、「空気を車体内部から外部に吸い出す(走行中に動作する)空力的部品」と断定したもの。
実は、この「走行中に動作する空力的部品」という表現で、2座席レーシングカー(CAN−AMシリーズ)の世界で問題になったことがあるのだ。
それが下記掲載の1970年のシャパラル2J(チャパラルともいう)で、この時も上記理由で、結果は車両規則違反となっている。
しかしブラバム側は、あくまで「冷却用〜」と主張したが認められなかったわけである。
いずれにしても、”ファンカー”は画期的なアイデアものであり、事実、その性能は強烈なインパクトを持っていたのである。


ジム・ホール氏のデザインになるシャパラル2J/シボレーV8。2個の
ファンを持つ強烈なベンチュリーカーだったが、レギュレーション違反
となり、出場は不可となった。CAN-AM(カナディアンーアメリカン・チ
ャレンジカップ)シリーズでのひとこま。右のマシンは常勝マクラーレン
M8/シボレーV8。

illustration:TOHO MOKEI 1/24scale model



その3.ガスタービンカー
ロータス56B

(Lotus56B Gasturbin)
 
コクピットに納まるエマーソン・フィッティパルディとパワーソースのガスタービン。

1971年9月5日のイタリア・グランプリ(Replay!F1 Dramatic Race参照)に登場しているロータスのガスタービンカー「56B」。
このエンジンは、元々インディ500レースを走ったものをベースとしている。
1968年のインディ500に出場したガスタービンの型式は「56」で、同時に4輪駆動を採用していた。
この時は、終盤近くトップを走りながらも惜しくもマシン・トラブルでリタイアしている。
インデイ500を別にしても、レーシングカーにガスタービンを採用したのは、そんなにはない。ル・マン24時間に出場したBRMの存在くらいだろう。
1971年、F1グランプリに登場したのだが、いかんせん車重がネックとなり、したがってブレーキの効きも悪い。
この年限りでF1の世界から消えていった。ガスタービン本体は、アメリカのプラット&ホイットニー製。



その4.マーチ711/712
(March711/712)

    
photo:March Engineering

F2ドライバーのマックス・モズレー、同アラン・リース(ウインクルマン・チーム・マネージャー)、航空会社勤務のグラハム・コーカー、そしてマクラーレン・チームの設計者ロビン・ハード達、新進気鋭の4人がフォーミュラ界に新風を吹き込むために作ったのが、「マーチ・エンジニアリング」であった。
彼らは、手始めにF3用の「693」を作り、ロニー・ピーターソンが乗って3位にはいる実力を示し、すぐにF1マシンの製作に取りかかった。
フォードDFV(double four valveの頭文字を取ったフォード・アングリア・ベースのエンジン)をパワーユニットにして、ヒューランド・ミッションと共にモノコック・ボデイに装着された。
ストレスメンバーとして使用する、当時の流行の先端を行くデザイン(メカ的には手堅い手法でまとめられている)としたのだ。
こうして「マーチ701」は誕生し、ノン・タイトル戦のレース・オブ・チャンピオンでは、ジャッキー・スチュワートのステアリングで優勝しているのだ。
タイプ701は1970年シリーズに、スチュワートとクリス・エモン選手が乗り、スペインに優勝、2位・4回、3位・3回など大活躍して、マーチの名前を大いに売ったものである。
1971年モデルとして登場したのが、”お盆”をノーズ先端に載せた、タイプ711であった。
空気抵抗(ドラッグ)減少と、後方へのエアの流れ、そして巨大なダウンフォースを得るための前後ウイングの装備であった。
結果的に、しかしこれは大成功とはいかなかったようだ。
ピーターソンが2位・4回程度の戦績で終わっており、高速コースのモンツアでは、お盆を取り外して走っている。
いずれにしても、この試みは、現代の”吊り下げ式”フロント・ウイングにも通じるもので、進取の気合いが感じられるものであった。
ちなみに、マーチの名前は4人の頭文字から取ったものである。


March701


その5.ツイン・シャシー
ロータス88

(Lotus type88)


ツイン・シャシーで登場したロータス88だったが....
photo:出典「F1マシン デザイン&テクノロジー」CBSソニー出版

いわゆるウイングカーとファンカー(上記)によるダウンフォースの威力は、当時、エンジンによるパワーアップを図るよりも格段も有効な手段だったのである。
しかし、まもなく、どれもがレギュレーションで禁止されてしまう。
空気を密閉するためのスカートが剥がれて、直進できないマシンによる事故が起きたり、ウイングカーは、あまりにもダウンフォースが強すぎて、コーナリングですさまじい”G”(gravity=重力)がかかったため、ドライビングの限界を超えると判断されたためである。
しかし、1981年には、ウイングカーの力が忘れられなかったロータスが、またしても突飛なアイデアを実行に移してきた。
それがロータス88であった。
ロータス88には、取り外しのできる”空力処理が内包された”カウルがあり、モノコックやサスペンションといった通常の車体部分とは完全に切り離されていた。
このため「ツイン・シャシ−」とも呼ばれた。
サイド・ウイングで得たダウンフォースは、ダイレクトでタイヤにかかるように工夫されていて、問題になったサスペンションの堅さ(ガチガチ感)の処理は、スプリングをソフトなものにして解決しょうとしていた。
ロータス88は、レース(ロングビーチ)前の車検には通ったが、他チームからクレームがつき、FISAも「空力に関係する部品の可動禁止の条項違反」ということで、決勝レースを始め、以降出場していない。


ツイ・シャシーの仕組みがこの図でよく分かる。
illustration:出典「F1マシン デザイン&テクノロジー」CBSソニー出版



その6.BRM・V型&H型16気筒エンジン
(BRM V&H 16CylinderEngine)


BRM・V型16気筒(タイプ15)
出典:「歴史に残るレーシングカー」ダグ・ナイ著/グランプリ出版

かつての強豪コンストラクター、BRM(British Racing Motors)は、16気筒にかなりのこだわりを持っていたようである。
いうまでもなく、(高圧縮)高回転・高出力は一体で、そのためには必然的にマルチ・シリンダー設計となる。
この三位一体のエンジン思想は、レーシング・エンジンの場合、つい最近までごく当たり前の考え方といえた。
(戦前にも、直列8気筒やV型16気筒があった)
BRMは、1950年に1.5リッター・V型16気筒エンジンを作っている。
2基の750cc・V8エンジン(ボア49.53xストローク48.6mm・1488cc=ストロークが47.3mmで1470ccという説もある)を前後に連結させた作りで、
クランクシャフト中央のギヤを介して、クランクケース下部かラシャフトを出していた(フロント・エンジンのため)。
パワーユニットは、シャシー斜めに搭載され、プロペラシャフトはメルセデス・ベンツW165のように、トランズアクスルにパワーを伝える方式だった。
ロールスロイス製のスーパーチャージャーを装備し、出力はなんと585ps/1万1500rpmだったというから驚きだ。
この50年仕様BRMには、4輪ディスク・ブレーキも装備されており(BRMはグランプリ・レースにディスク・ブレーキを持ち込んだパイオニア)、
プロペラシャフトは、ブレーキ・サーボのポンプも駆動していたのだ。
いづれにしろ、V16サウンドの高周波は相当のものだったようである。
このV16エンジン搭載BRMは、1951年から55年までにかなりのレースに出場(マーク1,2)したが、残念ながら大きな成果は挙げられなかったようである(1951年イギリス・グランプリで5位入賞、他はローカル・レースでの勝利)。
このV16エンジンから約10年を経て、こんどはH型16気筒エンジンをBRMは、グランプリ戦線に送り込んできた。
1966年、BRMタイプ「P83」に積んだもので、エンジン名は「タイプ75」。
3リッター時代に合わせたもので、H型2クランク式である。
H型といって分かりにくかったら、水平対向8気筒(ボア68.5xストローク50.8mm)を上下に組み合わせたと思えばいいかも知れない。
パワーユニットは、シャシーのストレス・メンバーとして用いられる設計である。
BRM(チームはオーエン・オーガニゼーション=Owen Organisationの一部門になっている)は、
このH型16気筒の最終馬力を500〜600馬力に置いていたようだが、当初は圧縮比12.5で420ps/1万750rpmの出力であった。
結果的に、このH型16気筒エンジンは、1966,67年の2シーズンを走ったに過ぎないが、それでも、BRMから
エンジンを購入したロータスが、ジム・クラークのステアリングで、1966年のアメリカ・グランプリにに優勝している。
いずれにしろ、重さが出力に対して負担となっていたのは否めないようで、これ以後、16気筒エンジンのグランプリ出場の記録はない。
ちなみに、コベントリーでも1.5リッター・水平対向16気筒エンジンが試作されたが、実用化していない。




BRM・H16気筒「P83」
出典:「F1倶楽部」双葉社


{参考}
コベントリー製1.5リッター水平対向16気筒エンジン
/未出場



その7.ポルシェ空冷F1
(Porsche type804 Flat8 Aircooled F1)


photo:Porsche Museum

私の知る限りでは、実戦に参加したF1マシンでの「空冷マシン」は、ポルシェ4気筒および8気筒「タイプ804」と「ホンダRA302」しかない。
空冷は、いうまでもなく水冷より、すべてにおいて軽量に仕上げられるメリットがある。
が、反面、熱対策とエネルギー・ロスの問題を克服しなければならない。
そこえいくと、ポルシェは伝統的に空冷エンジン使用者である。
市販スポーツカーはもちろんのこと、レーシング・スポーツカーに至るまで空気冷却を得意としている。
1961年、F1レギュレーションが1500ccになったのを機に、まず空冷フラット4・F2マシン「718/2」でグランプリに挑戦した。
翌1962年、ボア66xストローク54.6mm、総排気量1494.4ccのフラット8エンジンを搭載した
「タイプ804」
(上記写真のもの)を出場させている。
シャシーは新設計のもので、ブレーキもそれまでのドラム式から4輪ディスクに換えられている。
エンジン上部には、冷却用の大きなファンが取り付けられ、一目でそれと分かる。
出力は180ps/9200rpmで、1962年F1選手権・第4戦/フランス・グランプリにダン・ガーニー(アメリカ)の操縦で、みごと優勝を遂げている。
しかし、空冷ポルシェF1は種々の理由により、この年で撤退、以後90年代に復帰(パワーユニットのみ、水冷式)するまで、ポルシェの名は聞くことがなかった。