シューマッハ{Ferrari}vsハッキネン{McLaren}の壮絶バトルは一夜にして生まれたのではない!
*歴史を知ると、もっと味わいが増す


白井 景
Kei Shirai

monologue




1962年{昭和37年}、日本初の国際公認コース「鈴鹿サーキット」で、バイクによるレース{全日本選手権ロードレース大会}が行なわれ、この年をもって日本のモータースポーツ元年といわれます。爾来38年、モータースポーツの頂点に立つ「F1」による日本グランプリ・レースも毎年盛大に開催され、ファンを魅了しつづけているのはご存じのとおりであります。
が、当たり前のことだが、歴史のページはどんどん新しくなり、その1ページ1ページは人びとの脳裏から忘れ去られ、風化していく。裏を返せば、進化とはそういうものだろうとも思います。
年にわたって雑誌記者、あるいはジャーナリストとしてモータースポーツに携わってきた者のひとりとして、自分が見てきたこれら貴重なページ{下記参照}を、今後はひとりのエンスージアストとしてモータースポーツ・ファンに引き継いでいきたい、そんな思いも込めてこの部屋、ページを設けました。
ちろん、ひとりの記憶には限界があり、資料に頼るところ大です。もしこのページにあなたの質問{Q&A}があったとしても、答えられることは限られているかもしれないし、時間もかかるかもしれません。
れでも、モータースポーツに、青春に身を寄せ、喜びも哀しみも共にこれを愛した者のひとりとして、開設したページをできるだけ永く続けていきたいと願っています。
問には、具体的に答えていきたいと思っていますが、ある程度、自信を持って答えられる年代は、1962年{昭和37年}〜1974年{同49年}が全般、1987年{昭和62年}〜1994年{平成6年}がF1{主にメカニズム}に関すること。
られた期間ですが、それでも興味があり、日頃から疑問を持っていたことなどがありましたら、ダメもとでアクセスしてみてください。

(ページ開設の前に:2000/9/5記)
                                                              



若き日の筆者(Fuji Speedway)


白井 景/略歴
kei−shirai

1941年{昭和16年}東京都出身。S書房でクルマの月刊誌を編集。鈴鹿サーキット誕生と共に創刊したスポーツ専門誌の選任スタッフとなり、以後、日本のモータースポーツの黎明期、成長期、そして成熟期を取材しつづける。後年は編集長を拝命。1974年{昭和49年}いったん現役を離れ、1987年{昭和62年}、F1による日本グランプリが開催されることになったのと時を一にして現役に復帰{F1雑誌編集長}}。1994年{平成6年}、一般誌に「レーシングカー疾走の100年」(C公論)を総括執筆し現役を引退、今日に至る。著書に「最新版F1面白ゼミナール」(R出版)、「92年版F1もの知り大百科」(K社)、「F1 WONDER WORLD」(B社)などがある。


残念ながら絶版です。






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