(2輪レースの世界)
Part2.

1960年代

MFJ(日本モーターサイクル協会)が発行している「ライディング」は、
私が最も楽しみにしていた月刊誌のひとつであった。
以下は、その中でも、私の最も気に入ったものばかりを集めてみたもの。
ひとりよがりの感、なきにしもあらずだが、往時のムードを多少でも味わって頂ければ幸いです。




私が当時、最も衝撃を受けた写真。
1964年、イタリアは、モンツァに初めて姿を現した「ホンダ250・6気筒」。
エンジニアの手で、慎重にエンジン調整が行なわれているところ。
260・6気筒は、日本の技術ならではの設計・仕上がりであった。
あまりの高周波ノートに思わず耳に手をやる。


マン島に日の丸が揚がる!
1963年6月14日


マン島コース図

この年の50ccクラスは、スズキ・チームの独壇場であった。
1,2,4,5位を独占し、TTレース4年めの伊藤光夫選手が
マン島に日章旗を高々とひるがえしたのだ。

50ccクラス・レース結果
3周・182.17km

1位:伊藤光夫 スズキ
2位:H.アンダーソン スズキ
3位:H.G.アンシャイト クライドラー
4位:森下勲 スズキ
5位:市野三千雄 スズキ
6位:プラムリッジ ホンダ


全長60.725kmx3周。平均126.83km/hのスピードで
走破し、ゴールに飛び込む優勝の伊藤スズキと、後は3位の
アンシャイト・クライドラー。


表彰台に立つ伊藤光夫選手を中央に、
左ヒュー・アンダーソン、右ハンス・ゲ
オルグ・アンシャイト。



市野スズキと森下スズキ。


1964年型マシン
High Ligh


スズキRM/50cc
3年連続の50ccチャンピオン・マシン。
ロータリーディスク・バルブ吸気の単気筒
2ストロークで12馬力を発生。10段変速
を介して145km/hの実力を誇る。



ホンダRC113/50cc
DOHC・2気筒で10馬力以上を発生。変速
機は9段。ピーク回転は1万8000rpm。



ヤマハ/125cc
ヤマハの125ccは、それまで2
ストローク・単気筒だったが、19
64年のオランダ・グランプリから
2気筒になっている。


ホンダ2RC146/125cc
1964年125ccクラス・チャンピオン・マシン。
DOHC/気筒当たり4バルブの4気筒マシン。
24馬力以上の出力を発生し、7段ミッション
を介して180km/hをマークする。



スズキ/250cc
「エッセイ」の中に使われている2ストローク・
スクェア4エンジン搭載車。出力は50馬力以
上と言われた。


ヤマハRD56/250cc
250ccクラスに2ストローク・エンジンで初の
チャンピオンをもたらした栄光のマシン。空冷
2気筒ロータリー・バルブ吸気。変速は7段。


ホンダRC172/350cc
3年連続チャンピオンの座を守った不滅の
マシン。DOHC・4気筒・53馬力以上。


964年世界選手権ロードレース
World Champion

左から500cc/マイク・ヘイルウッド(マシン:MV、イギリス)、350cc/ジム・レッドマン(ホンダ、南ローデシア)、
250cc/フィル・リード(ヤマハ、イギリス)、125cc/ルイジ・タベリ(ホンダ、スイス)、50cc/ヒュー・アンダーソン
(スズキ、ニュージーランド)



主だった外国製レーシング・マシン



MVアグスタ 500cc 
 イタリア 4気筒・DOHC



ベネリ 250cc
 イタリア 4気筒・DOHC


モリーニ 250cc 
イタリア 4ストローク・単気筒


MZ 250cc 東ドイツ
 2ストローク・ロータリー・バルブ
 

クライドラー 50cc 
西ドイツ 2ストローク・ロータリーバルブ
4x3=12段変速ギヤ採用



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伝説のライダー、伊藤史朗
その走りをかい間見る

 

写真右:1963年世界選手権・第5戦/オランダ・グランプリ250ccクラス(6月29日=バン・ドレンテ)。先頭はホンダ・4ストローク空冷4気筒の
ジム・レッドマン(優勝)と後ろ2位の伊藤史朗。

写真左:同・第6戦/ベルギー・グランプリ250ccクラス(7月7日=スパ・フランコルシャン)。先頭の砂子義一が2位、後ろの
伊藤史朗が優勝。マシンは共にヤマハ2ストローク空冷2気筒。


写真はすべて「ライディング」による
タイトルバック写真:ベルギー・グランプリで、白煙を挙げ、スタートダッシュするヤマハの伊藤史朗選手


[逸品紹介]

貴重なレーシング・サウンド収録
「1967年マン島TTレース」

モーターサイクリスト1967年9月号付録
朝日ソノラマ ソノシート



2輪レース最古の歴史を持つ「マン島TTレース」。
その第1回大会は、1907年(明治40年)に行なわれた
TTレースのいわれは、文字どおり2輪のツーリスト達によって始められた(トロフィー・レース)ことによる。
マン島は、イギリス本島(大ブリテン島)の西方、アイルランド海にある南北約50km、東西16kmほどの島。
TTレースの行なわれる前後1週間は、TTウイークとして、お祭りとなる。
マウンテン・コースは、1960年以降、全クラスが行なわれており、
1周約60km、標高差600mの山岳地帯が含まれたコースを走る。
スタートは、50ccクラスを除いて、すべて2台づつ、10秒のインターバルて出走する方式。
1967年当時の出場申し込みは573台(8カ国・39種類のマシン)。
これを18カ国のライダーが操るのだ。


1967年TTレース優勝者
50cc/3周
S.グラハム スズキ
所要時間:1時間21分56秒8
平均133.37km/h
125cc/3周
P.リード ヤマハ
1時間9分40秒8 156.84km/h
250cc/6周
M.ヘイルウッド ホンダ
2時間11分47秒6 164.91km/h
350cc/6周
M.ヘイルウッド ホンダ
2時間9分45秒6 168.43km/h
500cc/6周
M.ヘイルウッド ホンダ
2時間8分36秒2 169.94km/h
サイドカー/3周
S.シャウツ BMW
1時間14分40秒6 145.44km/h

 

レコードの内容
ホンダ6気筒250cc
同4気筒500cc
ヤマハ4気筒125cc
同250cc
スズキ2気筒50cc
同125cc
MV3気筒500cc

 

「’87 GRAND PRIX」 総集編
’87世界選手権ロードレース・グランプリ

TBS映画社製作 VHS カラー、MONO HiFi 60分

1987年ロードレース全戦のハイライト・シーンを結集。
車載カメラによるスピード感溢れる映像を織り混ぜ、世界のトップライダーの走りを追う。
チャンプめざして力走するガードナー、激しく競い合うマモラ、ローソン。
日本人ライダーの平、八代の健闘シーン。
大混戦の、250ccクラスの激しいトップ争いは眼を見張らされる。
最終戦では、この激しい争いに日本の清水が加わる。
雨の日本グランプリから最終戦までを完全収録した日本語版。




 

「ドキュメント ’88 鈴鹿の夏」
DOCUMENT ’88 SUZUKA SUMMER

本田技研工業/TBS映画社・STA製作 VHS HiFi ステレオ 40分

真夏の祭典、鈴鹿4時間/8時間耐久レース。
ファミリーマート・ホンダ、初めての夏、全記録。
---耐久レース参戦チームの秘密を探り、
勝負に賭ける若者、明日に賭ける若者達のインサイド・レポート。