白井景 執筆集
(原文のまま)


2.

JAL(日本航空)発行 ”ウインズ”1991年3月号
That’s Entertainment 
「世界はエンターテインメント」



人間と技術の極限に挑む
F1グランプリへの招待



世界中を舞台に年間16戦行われるF1グランプリ。
その第1戦は1950年5月、イギリスで開催された。
それから41年。
F1グランプリは今シーズンの緒戦アメリカGPで501回めを迎える。

 サーキットに合計2万馬力の心臓がうなる
 数あるモータースポーツの頂点ともいわれるF1グランプリ。
今や大変なブームとなっている”F1”とは、いったいどんなものだろう。
 車を道具とするモータースポーツは、すべてパリを本部とするFISA
(国際自動車スポーツ連盟)が取り仕切っている。その規定では、タ
イヤをむき出しにしているおなじみのフォーミュラ(規格という意味)カ
ーは、そのエンジン排気量によって、F3、F3000,F1に区分されて
いる。 
 F1、すなわちフォーミュラ・ワンのエンジン排気量は、レギュレーシ
ョン(特別規則)で最大3500ccまで、最大気筒(シリンダー)数は12
気筒まで。すさまじいパワーを生むターボ・チャージャー(過給器)は現
在すべて禁止となっているが、NA(ノーマル・アスピレーショ
ン)のエンジンでも700馬力近いパワーを生み出す。
 ボディ寸法も規定されている。全長は自由だが、全幅は2150mm、
車体幅1400mm以内、全高1000mm以内、ホイールベース、トレッ
ド共に自由、最低重量500kgという具合だ。
 軽自動車よりはるかに軽い500kgの車体に、大型トラックの数倍の
700馬力のエンジンを積んだF1マシンが生み出すスピードは、まさに
われわれの想像を絶する世界である。

 F1マシンを見ると、空気力学に優れたボディシェイプが眼につくが、
それと共にウイング(翼)がついているのにも気づくだろう。
 これは、空気の流れを下に向け、約1トンものダウンフォースを得
るためのものだ。マシンは、エンジンのパワーをタイヤに伝えて走る
わけだが、強大なパワーを持つF1の場合、ウイングでタイヤがさら
によく路面をグリップするように押しつけてやらないと、推進力が空
まわりしてしまうのである。
 F1グランプリでは、26台のマシンが決勝レースを争うから、サー
キットには、合わせて2万馬力ものエンジンが時速300kmを超え
るスピードで戦いを繰り広げることになるわけだ。

 F1は世界を舞台に疾走する
 現在、F1マシンのコンストラクター(製造者、いわばチーム)には
イタリアのフェラーリ、イギリスのマクラーレン、ウイリアムズ、ベネト
ン、ティレル、ロータス、アローズ、ブラバムなどがある。
 エンジンは日本のホンダ(91年からV12)を筆頭にフェラーリ(V
12)、フランスのルノー(V10)、イギリスのフォード(V8)、ジャッド
(V10)など。
 これに91年には、日本のヤマハ(V12)や復活が待望されたド
イツの名門ポルシェ(V12)が加わり、いっそうバラエティ豊かな争
いになってくる。
 各メーカーのエンジン音の違いを聞き比べるのも、F1観戦の楽し
みのひとつであろう。
 これらのマシンに、世界中から選りすぐられた最高のドライバー達
(F1操縦の免許を持っているドライバーは、世界中にわずか40人余
りしか存在しない)が乗り込んで、F1グランプリは開幕する。
 予選を経て決勝のグリッドに並べるのは、最速のタイムを出した者
から26名に限られる。近頃は参加チームの数も増え、予選に先駆け
て予備予選が行なわれているほどである。
 F1が転戦する世界の国々はアメリカ、ブラジル、イタリア、モナコ、
カナダ、メキシコ、フランス、イギリス、ドイツ、ハンガリー、ベルギー、
ポルトガル、スペイン、日本、オーストラリアの15カ国・全16戦。
 日本では1987年から毎年10月に開催されている。どのサーキッ
トも、迫力あるF1レースを見に集まる観客が常に10万人を越えると
いう人気ぶりだ。
 これら16戦の、レースの6位までの入賞者とコンストラクターにはポ
イントが与えられ、その合計ポイントで年間のドライバーズ・チャンピオ
ンとコンストラクターズ・チャンピオンが決定するのである。
 世界の各サーキットは、スピードコースあり、テクニカルコースありと、
それぞれが特色を持っていて面白い。
 例えば、モナコ・グランプリでは、国際的な高級リゾート地であるモン
テカルロの街中を、地中海の青い海と白いヨットの群れを横目に、数多い
コーナーを抜け、ドイツではホッケンハイムの黒い森の中の、長い直線
をエンジン全開で走り抜けるのである。
 またイタリアでは、自国のフェラーリを応援する熱狂的なファン達(ティ
フォシと呼ばれる)の騒ぎぶりが、いかにもイタリア人らしい陽気さで実
に楽しい。



 F1グランプリの楽しみ方は、実に人様々だ。車やエンジンなどのメカ
ニカルな部分に興味を持つ人、ドライバーの個性や人間的なところに惹
かれる人、あるいはエンジンの音にしびれる人。
 それまでまったく興味のなかった人がたまたまF1を生で見て、一遍
でF1の魅力の虜になってしまったという話も、実際に数多い。
 テレビで見るF1と、生のF1とは、サーキットに漂う独特な臭いを含め
て、全然違うのだ。眼の前を爆音と共に疾走していくF1マシンの迫力は、
筆舌に尽くしがたい。
近頃は、加熱気味のF1ブーム真っ只中の日本では、F1グランプリを生で
見るためには、かなりの労力と、切符を得るための幸運(昨年は4分の1の
確率だった)が必要だ。
いっそのこと、海外旅行中にF1グランプリの観戦を組み込むというのはどう
だろうか。
入場チケットは、日本グランプリよりずっと容易に手に入れることが出来るし、
それに何と言っても本場のサーキットならではの雰囲気も抜群なのだから。
 



1991年、注目したい5人のドライバー

アイルトン・セナ
Ayrton Senna
 1960年3月21日生まれ ブラジル出身
マクラーレン・ホンダ

昨年、2度めのワールド・チャンピオンに輝いた
史上最高の52回のポールポシション記録を持つ
F1最速の男。もちろん今シーズンもワールド・チャ
ンピオンの最右翼だが、新しく完成したばかりのニ
ューマシンと、これまた今シーズンデビューのホン
ダV12エンジンの熟成次第というところ。プロストと
の決着がつくだろうか。

アラン・プロスト
Alain Prost
 1955年2月24日生まれ フランス出身
フェラーリ

最大のライバル、セナが最速の男なら、F1グランプ
リ史上最多の44回の優勝と3度のワールド・チャン
ピオンを獲得しているプロストは、最強の男といえる。
”プロフェッサー”の異名を持つプロストは、冷静にレ
ースの流れを見つめ、最後には、いつのまにか優勝
をさらってしまう、まさにプロ中のプロである。

ジャン・アレジ
Jean Alesi
1964年6月11日生まれ フランス出身
フェラーリ

第2のセナ、プロストと、ことし最も期待されているのが、
今シーズン3年めを迎えたジャン・アレジだ。
アレジの獲得を巡って昨年、各チームが激しい争奪戦を
繰り広げたことが証明するように、近い将来の
ワールド・チャンピオンの器である。
名門フェラーリに移籍した今シーズンの
走りと活躍が大きな楽しみだ。


中嶋悟
Satoru Nakajima
1953年2月23日生まれ 愛知県岡崎市出身
ティレル・ホンダ

日本人初のフルタイム・F1ドライバーとして、
今日のF1ブームに果たした中嶋の功績は大きい。
5年めを迎えた中嶋にとって今シーズンは、
ホンダV10エンジンという強い味方を得たこともあり、
あっというような大活躍が期待できそうだ。
日本人初の表彰台こそ亜久里に譲ったが、優勝も、決して夢ではない。


鈴木亜久里
Aguri Suzuki
1960年9月8日生まれ 東京都出身
ラルース・DFR

1990年日本グランプリでみごと3位入賞、
日本人として初めて表彰台に登った。
F1挑戦1年めは、16戦すべてに予選落ちという結果に終わったが、
90年シーズンはイギリス、スペイン両グランプリに6位入賞し、
グランプリの世界での評判も高まっている。
ランボルギーニのエンジンを失った
今シーズンが正念場だ。


巨額の金を乗せて走るF1マシン
さて、危険を代償とするドライバー達の報酬はどうだろうか?
一般に、各レースの優勝賞金が、報酬として大きいと思われがちだが、
F1の場合、これはシークレットとされているものの、
実は意外なほど、たいした額ではないらしい。
それよりも、各コンストラクターとの契約金や、
スポンサーとの契約料などのほうが、はるかに多い。
トップクラスとなると、メーカーとの契約だけで、軽く10億円を超えるという。
これに専属スポンサー料などが加わる。
ドライバーのレーシング・スーツやヘルメットに付けられている
ワッペンやステッカーがそれである。
コンストラクターは、やはり各企業と契約を結ぶ。
そして、それらは、F1マシンに商品名として華やかに彩られ、
いわゆる”走る広告塔”として、宣伝に一役買うわけである。
ボディの10cm四方が約1億円という例があるくらいだ。
スポンサーは例を挙げると、マクラーレンではマルボロであり、
ウイリアムズではキャノン、エルフ、ラバッツ。
ティレルがエプソン、日本信販、PIAA。
ベネトンがキャメル。ラルースが東芝などである。
日本の企業がオーナーになっているものもある。
それはアローズのフットワーク、マーチのレイトンハウス、ラルースのエスポなどで、
この傾向は、今後ますます強くなっていくものと思われる。
それだけの巨額な投資を企業がしても、なお見返りがあると判断される
魅力的な広告・宣伝媒体がF1の一面でもあるのだ。

さて91年シーズンの見どころは?
1991年のF1グランプリ・シーズンは、マシン面ではマクラーレン・ホンダとフェラーリ、
それにウイリアムズ・ルノーがからんだ戦いとなるだろう。
特にマクラーレン・ホンダは、ことし、ニュー・エンジン(V12)を搭載するため、
シャシーもニュー・タイプとなる。
このニュー・マシンの完成度がどうか。
いっぽうフェラーリは、前年度でもマシンは熟成されており、
ホンダと同じ700馬力と出力も拮抗している。
フェラーリは、おなじみのセミ・オートマチック・ミッションもかなり完成度を高め、
こちらも万全の態勢といっていい。
これにウイリアムズ・ルノーのV10,べネトンのフォードV8,ティレル・ホンダV10,
ミナルディ・フェラーリV12が2強に対抗する。
V10ながら、ティレル・ホンダが積むホンダ・エンジンは、
昨年十分に完成された、信頼性のあるエンジンなので、ニューV12より
むしろ安定しているともいえ、
これに乗る日本の中嶋悟の活躍は大いに期待してよさそうだ。
ことし1月、スペインのヘレスでニュー・ティレル020をテストした中嶋は、
まだシート合わせの段階で、
すでに昨年のフォードV8パワーと同タイムを出しているので、今後いよいよ楽しみだ。
ミナルディも、ことしフェラーリ・ファクトリーと契約した。
これまで門外不出といわれたフェラーリ・エンジン
(各戦6基ずつ、エンジン・メカニック3人を供給)を搭載するので、
グランプリを暴れまくるのは間違いないだろう。
いっぽうドライバーでは、因縁の対決ともいわれる
”静”のアラン・プロスト、”動”のアイルトン・セナの決着が、ことしの焦点。
これに割ってはいるのが、マクラーレン2年めのゲルハルト・ベルガーと
フェラーリの新鋭ジャン・アレジ、
そしてウイリアムズに移籍したナイジェル・マンセル達だ。
アレジは昨年ティレルに乗って、彗星のごとく登場した。
開幕第1戦のアメリカ・グランプリで、
セナと一歩も引かないバトルを演じ、堂々2位を獲得した、すご腕ドライバーだ。
ことしフェラーリのシートを得て、プロスト、セナをおびやかすと思われる。
もうひとり、日本人ドライバーで、昨年の鈴鹿で表彰台に登った(3位)鈴木亜久里は、
昨年のランボルギーニV12エンジンが使えず、
フォードDFR・V8搭載のラルース・マシンなので、
多少苦戦を強いられるかも知れない。
今シーズンからグランプリに加わる日本のヤマハV12(ブラバム)、
名門ドイツのポルシェV12(フットワーク)の動向も見逃せない。
***
若者を中心に、世界中で圧倒的な支持を受けているF1グランプリ。
今シーズン、また新たなエンジンや有望ドライバーを加え、
昨年以上に激しい戦いで、われわれを楽しませ、興奮させてくれるに違いない。
(了)

2002/6/18 写真1点削除